だれを思う。

生きているのは、自分だから、
自分の思いは、いっぱいでてくる。
けれど、自然は、僕の思う通りにはいかない。
けれど、それがいい。

一気に秋めいてから、家の森には、毎日イノシシがでてくるようになった。
追いやっても、またすぐに戻ってきて、あたりをうろうろ。
2頭の、まだ成長途中の、子どものイノシシ。
どんぐりを食べ、苔や土を掘り返して、ミミズを探している。
おかげで、森の庭は、ぐちゃぐちゃだ。

春には、立派に育ったギボウシの、若葉がでたところで、
ちょうどすべての株を、食べられてしまった。
柔らかいギボウシは、おいしいのだ。
根っこも掘り返して、食べられ、無残な跡だけが残った。
今は、生き残った根から、
小さな小さなギボウシが、葉を伸ばしている。

僕は、自分が手をかけた、この森を守りたい。
イノシシは、ただ生きるため、これから来る寒い冬を生き延びるために、
食べられるものを探している。
たくさん掘り返しても、そこにいる食べものは、わずかだろう。

みんな、生きている。
人間も、植物も、動物も、虫も、目に見えない微生物も。
僕という感覚は、大切だけれど、
自然の中で生かされている感覚は、もっと大切だ。

森に住んでいる。
ここからここまでが敷地、なんていうのも、人間だけの都合だ。
イノシシや動物は、この森にある獣道を通って、生活をしている。
この森にお邪魔しているのは、人間のほうだ。

森の中では、圧倒的に、自然が優位だ。
そして、大きすぎて、強すぎる自然の前では、できることの方が少ない。
人間なんて、ちっぽけだ。
だから、ここが心地よい。
忘れてはいけない感覚を、日々感じている。