暮らしをつくる。

小麦以外に、畑では、家族のための野菜を、みんなで育てている。
娘は1歳になり、この夏は、子どもたちが、
畑にいっぱい来てくれたのが、何より嬉しかった。
草を取ったり、苗のお世話をしたり、収穫に追われたり、
保存のための作業など、ひとつひとつが積み重なると、
野菜を育てるのは、思う以上に大変だ。
けれど、その分、食べきれないほどの
おいしい野菜たちができてくれる。

息子は、この夏に5歳になった。
今年は、畑で種を蒔いたり、率先して収穫をしたり、
母親が草むしりした草を、ゴミ収集車になって、運んでくれたり。
自分で育てた野菜を、たくさんたくさん食べるようになった。

娘は、ブルーベリーやブラックベリーを採っては、
口のまわりも手も服も、紫色にしながら、ほうばっていた。
いつも、髪から足まで、土だらけ。
そんな家族の姿が、とてもいとおしくて、嬉しかった。
野菜でも物でも、買えば簡単に、素晴らしいものが、手に入る。
けれど、たぶん、性分なんだと思う。
自分でやるのが、好きなんだ。

昔、妻と出会ってから、
自分たちのパン屋のかたちを探るために、ヨーロッパに渡った。
パン屋と農家をたくさんまわって、帰ってきてから、
必死に手探りで、一緒に小麦を育て始めた。
家族ができて、今は、みんなで一緒に、暮らしを作っている。
毎日、きれいごとでは片付けられないことばかり。
大変なことの方が、多いかもしれない。
うまくいかないこともいっぱいあるけれど、
それが自分たちの生きる力になると信じている。

子どもは、もう自分の人生を生きている。
たくさん感じて、いろいろ触って、いっぱい匂って、
じっと考えて、手足を動かして、
自分で自分を作ってほしい。
楽しいものは、おもしろいことは、自分でつくる。
幸せは、自分でつくるんだ。
大変な思いをして得たものだからこそ、
それ以上に最高のことはないなあ、と思う。

ひとつひとつの小さな幸せが、
僕の、日々の生きる力になっている。
畑での小麦づくりも、小屋の中でのパンづくりも、
妻と子どもとの時間も、森の中の暮らしも、
僕にとっては、すべてがつながっている。